野々市市立野々市小学校とは? わかりやすく解説

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野々市市立野々市小学校

(野々市町立野々市小学校 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 05:25 UTC 版)

野々市市立野々市小学校
北緯36度31分55秒 東経136度36分32秒 / 北緯36.53194度 東経136.60889度 / 36.53194; 136.60889座標: 北緯36度31分55秒 東経136度36分32秒 / 北緯36.53194度 東経136.60889度 / 36.53194; 136.60889
国公私立の別 公立学校
併合学校 郷小学校
設立年月日 1961年4月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B117221200015
所在地 921-8815
石川県野々市市本町五丁目3番1号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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野々市市立野々市小学校(ののいちしりつののいちしょうがっこう)は、石川県野々市市にある公立小学校。

概要

1961年4月に旧富奥村野々市町立富奥尋常小学校(現在はJAののいち本店、野々市スポーツランド)と、野々市町の野々市町立野々市尋常高等小学校(この後、電波学校となり、1977年8月には、現在の本町2丁目・野々市市中央公民館が設置)が統合して設立。7月に現在地の新校舎工事が着工。1962年には旧郷村郷小学校も加わった[1]1963年10月には新校舎が完成した。

1970年代後半に入ると児童数の増加でマンモス校化しつつあったため、1978年御園小学校1981年菅原小学校1982年富陽小学校を分離。さらに1984年館野小学校が御園小学校から分離した際、校区の一部を分離した。校舎の老朽化が進行し、2009年には建替え改装工事が施行し2011年3月に新校舎が完成した。

沿革

  • 1961年4月1日 - 野々市町立野々市小学校設立(校舎は旧富奥小・旧野々市小を活用)
  • 1961年7月8日 - 統合野々市小学校建設着工(現在地・本町5丁目地区)
  • 1962年8月10日 - 第一期工事竣工、本館校舎完成
  • 1963年3月30日 - 第二期工事竣工、管理棟完成
  • 1963年10月20日 - 第三期工事竣工、体育館完成
  • 1963年10月28日 - 新校舎落成
  • 1963年11月16日 - 校歌制定
  • 1971年10月13日 - 東側校舎3、4階教室棟増築工事完成
  • 1978年10月20日 - 4月の御園小学校完成に伴い分離
  • 1981年5月19日 - 4月の菅原小学校完成に伴い分離
  • 1982年10月21日 - 4月の富陽小学校完成に伴い分離
  • 1984年5月17日 - 4月の館野小学校完成に伴い校区の一部を分離
  • 2011年3月3日 - 老朽化のため建替え改装工事による新校舎竣工
  • 2011年11月11日 - 野々市市の市制施行に伴い野々市市立野々市小学校に校名変更。

主な卒業生

  • 徳野新太郎 - 起業家。ヨシオ工業株式会社、イシカワズカン株式会社、株式会社絶対そうしよなど複数の法人の代表を務める。

学校周辺

脚注

  1. ^ 平成20年度野々市町の教育(17ページ)

関連項目

外部リンク




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