近野理智男とは? わかりやすく解説

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近野理智男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 10:23 UTC 版)

近野 理智男(ちかの りちお[1]、本名同じ、1974年[2]8月12日 - )は、フリーのプロ雀士である[3]

人物

経歴

1997年、講談社ヤングマガジン増刊エグザクタ』に片山まさゆきが連載していた『夢リーチファイター素人伝説』の企画として、アイアン・カップという特別麻雀大会が開催されることになった。その時に「名前が面白いから」という理由でアイアン・カップの選手として選ばれ優勝。それがきっかけとなり、関西で競技麻雀を行うプロたちから声をかけられ、1999年に日本プロ麻雀連盟の第16期プロとして大阪船場支部(現在の関西本部)に所属することになった。後に、アイアン・カップで自分の対局の採譜を行っていたプロ雀士が麻将連合-u-に所属する小林剛プロだと知る。

2012年、関西のトーナメント戦「竹城位」で優勝(その後、竹城位は関西覇皇トーナメントとして新たなスタートを切る)。

同年、第9期の太閤位決定戦に進出するも3位という結果で終わる。

2014年、日本プロ麻雀連盟を退会[4]し、フリープロとして関西中心の麻雀界の活性化に貢献。

2017年7月、豊中の健康マージャンという雀荘のオーナーになる。

2018年4月、大阪麻雀連合会の広報部長に就任する。

人物像

滑舌があまり良くないことと、早口であることが重なり、何を喋っているのか分かってもらえないことが多い。対面で100点が取れても、電話越しでは60点まで下がるため、会話する際はリスニングの力がかなり必要。

三色同順が好きすぎて、レポートを書くと三色同順の牌姿ばかりになる。

妻が好きすぎて、妻の発言を細かくメモしてはブログに公開している。

獲得タイトル

  • 1997年 アイアン・カップ 優勝
  • 2012年 第2期 竹城位 優勝
  • 2012年 第9期 太閤位 3位入賞[5]
  • 2015年 チャンピオンロード 関西オールスター 優勝[6]

脚注

  1. ^ 近野理智男. “richio.chikano”. Instagram. Meta. 2022年9月29日閲覧。
  2. ^ 近野理智男 (2020年4月23日). “「近野理智男プロ」を振り返る(その1)”. アメブロ. サイバーエージェント. 2022年9月29日閲覧。
  3. ^ 近野 理智男”. ジャンナビオンライン. ウインライト. 2022年9月29日閲覧。
  4. ^ 近野理智男 (2015年1月1日). “新年のご挨拶と、その決意”. アメブロ. サイバーエージェント. 2023年7月6日閲覧。
  5. ^ 関西プロリーグ/地方プロリーグ/タイトル戦情報/日本プロ麻雀連盟”. www.ma-jan.or.jp. 2018年9月3日閲覧。
  6. ^ 第6回チャンピオンロード関西オールスター戦”. npm2001.com. 2018年9月3日閲覧。

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