近松茂矩とは? わかりやすく解説

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近松茂矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/01 08:11 UTC 版)

近松 茂矩(ちかまつ しげのり、1697年(元禄10年)- 1778年3月15日(安永7年2月17日))は、江戸時代中期の兵学者。一全流兵学の創始者。尾張(名古屋)藩士。通称は彦之進。南海、(嚢)玄子と号した[1]

来歴

1712年(正徳2年)、16歳にして御通番に召し出され、翌年に江戸詰となる[2]。武術を好んだ藩主徳川吉通より「武道全流道知辺」の伝と称し兵学武術の統合を命じられる。19歳にして全流練兵伝の門戸を開いて兵学を教授する[1][2]。吉通の没後、その遺命によって儒学色の強い佐枝系長沼流兵学を学び、さらに神軍伝大星思想を導入して日本的兵学の神道精神を唱導した。のち稲富流など数流の砲術を導入して一全流練兵伝を大成し、尾張藩独特の兵法の基盤を築いた[1]

1778年3月15日(安永7年2月17日)に没し、城西押切町本龍寺に葬られた。享年82[2]

茶書の作者として

茶書の著者として『茶湯故事談』全7巻、『茶窓間話』が茶人の間で読まれている[3][4]

著作

兵学

尾張徳川家4代伝記

茶書

脚注

参考文献




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