諸川宿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/29 01:58 UTC 版)
諸川宿(もろかわしゅく、もろかわじゅく)は、江戸時代の日光東街道(関宿通多功道)における下総国の宿場。現在は茨城県古河市諸川に相当する。
- ^ 円福寺所蔵「山川景貞文書」(康生3年・1457年頃)、および、 山川晴重知行目録(天正18年・1590年)より
- ^ 『三和町史 通史編 原始・古代・中世』 361-364頁(茂呂河と山川氏)
- ^ 『三和町史 通史編 近世』 39-41頁(小山会議)
- ^ 『三和町史 通史編 近世』 201頁(諸川・仁連・谷貝町(宿)の成立)
- ^ 三和町史 通史編 近世』 82頁(旗本三浦氏の改易・壬生藩主の分家)
- ^ a b 『日光東街道 諸川・仁連・谷貝町~景観いま、むかし~』 21-35頁(日光東街道 諸川町のいま、むかし)
- ^ 『三和町史 通史編 近世』 229頁(諸川町の景観)
- ^ 『三和町史 通史編 近世』 236頁(宿場の概要・諸川町)
- ^ 『三和町史 通史編 原始・古代・中世』 297-299頁(諸川向龍寺と向阿)
- ^ 古河市公式ホームページ・古河の文化財紹介(3)
- ^ 『宝蔵寺のたからもの』 5-6頁
- ^ 『三和町史 通史編 原始・古代・中世』 309-318頁(諸川宝蔵寺と円福寺、地蔵院流実勝方、宝蔵寺光宥の聖教書写、宝蔵寺と鶏足寺流)
- ^ 『三和町史 通史編 近世』 172-173頁(町内の真言宗寺院)
- ^ a b 『三和町史 通史編 近世』 209-212頁(助郷、諸川町)
- ^ 『三和町史 通史編 近世』 225-229頁(日光東街道と日光道中、町域の村々と古河・間々田宿)
[続きの解説]
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