見目清 (2代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 見目清 (2代)の意味・解説 

見目清 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 03:30 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

2代 見目 清(けんもく きよし、1883年明治16年)11月16日[1] - 1963年昭和38年)4月5日[2][注 1])は、明治から昭和期の実業家政治家貴族院多額納税者議員。幼名・清三[1][2]

経歴

栃木県塩谷郡太田村(北高根沢村を経て現高根沢町[3]で、素封家・初代見目清の長男として生まれる[1][3][4]。県立宇都宮中学校[3](現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、早稲田大学政治経済科を卒業[2][5][注 2]。父の死去に伴い1904年(明治37年)5月に家督を相続し2代清を襲名した[1][2][3][4]

矢口長右衛門らと宝積寺銀行を立上げて取締役となり、1915年(大正4年)頭取に就任[1][2][3]。下野実業銀行頭取にも就任し、その後、6銀行合併して下野中央銀行が創立され副頭取に就任し、1926年(大正15年)2月、頭取に就任した[2][3][5]。その他、宇都宮瓦斯社長、中央商事社長、下野印刷社長、東野鉄道取締役、下野新聞監査役などを務めた[1][2][4][5]

政界では1910年(明治43年)以降、北高根沢村会議員(2期)、栃木県会議員(1期)、同副議長、栃木県地方森林会議員などを務めた[1][2][3][5]。1929年(昭和4年)津久居彦七の死去に伴う補欠選挙で貴族院議員に互選され[2][3][6]、同年11月12日[7]から1932年(昭和7年)9月28日まで在任した[5]。在任中は研究会に所属した[5]

脚注

注釈

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』198頁では4月6日。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』198頁では修了。

出典

  1. ^ a b c d e f g 『大正人名辞典 第3版』1365頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『栃木県歴史人物事典』248-249頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『野州名鑑』751頁。
  4. ^ a b c 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』栃木11頁。
  5. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』198頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』38頁。
  7. ^ 『官報』第863号、昭和4年11月13日。

参考文献

  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社、1995年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 『野州名鑑』下野新聞社、1931年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  見目清 (2代)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「見目清 (2代)」の関連用語

見目清 (2代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



見目清 (2代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの見目清 (2代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS