藤原重子とは? わかりやすく解説

藤原重子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/19 02:21 UTC 版)

藤原 重子(ふじわら の じゅうし / しげこ、寿永元年(1182年) - 文永元年8月29日1264年9月20日))は、鎌倉時代前期の後鳥羽天皇の寵妃。女院順徳天皇の母。藤原南家高倉流藤原範季の娘。母は平家一門の平教子院号修明門院(しゅめいもんいん)。後鳥羽天皇の乳母である藤原範子兼子(卿局)姉妹は従姉で義理の叔母。同母弟に範茂


注釈

  1. ^ 安楽心院は藤原兼子(卿局)が後鳥羽上皇のために建てた寺院で、兼子の死後に従妹である重子に譲られていた。
  2. ^ 七条院や卿局から重子に受け継がれた荘園群が順徳天皇の男系子孫に受け継がれたことで、順徳天皇の皇統が荘園群を基盤として今後も存続を続けて後嵯峨天皇が率いる土御門天皇の皇統を覆す可能性を残すことになった。曽我部愛は宮将軍(親王将軍)成立の背景として、後嵯峨上皇がこうした重子と順徳天皇系の皇子たちの動きに対抗するために鎌倉幕府との連携を強化しようとした説を取る[3]

出典

  1. ^ 五味文彦「卿二位と尼二位」『お茶の水女子大学女性文化資料館報』6号(1985年)
  2. ^ 白根陽子『女院領の中世的展開』(同成社、2018年) ISBN 978-4-88621-800-1 P77-83・163-167.
  3. ^ 曽我部愛『中世王家の政治と構造』(同成社、2021年) ISBN 978-4-88621-879-7 P200-208・218-234.


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