蕭暠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 01:09 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動蕭 暠(しょう こう、468年 - 491年)は、南朝斉の皇族。安成恭王。字は宣曜。高帝蕭道成の六男。
経歴
蕭道成と任太妃のあいだの子として生まれた。479年(建元元年)、南朝斉が建国されると、安成王に封じられた。480年(建元2年)、冠軍将軍の号を受け、石頭戍に駐屯して軍事を預かった。482年(建元4年)、使持節・都督江州豫州之晋熙諸軍事・南中郎将・江州刺史として出向した。483年(永明元年)、征虜将軍に進んだ。484年(永明2年)、左衛将軍となった。まもなく侍中に転じ、歩兵校尉を兼ねた。中書令となった。487年(永明5年)、祠部尚書に転じ、驍騎将軍を兼ねた。488年(永明6年)、南徐州刺史として出向した。491年(永明9年)、散騎常侍に転じ、秘書監となり、領石頭戍事を兼ねた。この年の夏、病のために死去した。享年は24。撫軍将軍の位を追贈された。
伝記資料
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