蕭恵休
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 07:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動蕭 恵休(蕭惠休、しょう けいきゅう、生年不詳 - 500年)は、南朝斉の軍人。本貫は南蘭陵郡蘭陵県。
経歴
南朝宋の征西将軍・儀同三司の蕭思話の子として生まれた。486年(永明4年)、広州刺史となった。493年(永明11年)、輔国将軍・南海郡太守から徐州刺史となった。蕭昭業が即位すると、冠軍将軍の号に進んだ。495年(建武2年)、北魏の軍が鍾離を包囲したが、恵休が防戦を指揮し、北魏の軍を撃退した。侍中に転じ、歩兵校尉を兼ね、建安県子に封じられた。498年(永泰元年)、仮節を受けて寿陽の援軍として赴いた。499年(永元元年)、呉興郡太守として出向した。10月、建康に召還されて尚書右僕射となった。500年(永元2年)3月、死去した。金紫光禄大夫の位を追贈された。
伝記資料
- 蕭恵休のページへのリンク