董皇后 (冉魏)とは? わかりやすく解説

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董皇后 (冉魏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/22 04:19 UTC 版)

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董皇后
冉魏の皇后
在位 350年 - 352年

死去 352年以降
配偶者 冉閔
子女 冉智
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董皇后(とうこうごう、? - 352年以降)は、冉魏の皇帝冉閔の皇后。

生涯

後趙の武徳王石閔(後の冉閔)に嫁ぎ、正室となった。

350年3月、冉閔が後趙から自立して大魏を建国すると、董氏は皇后に立てられた。

352年4月、冉閔は前燕の輔国将軍慕容恪に敗れて捕らえられ、やがて処刑された。同月、前燕軍がを包囲すると、皇太子冉智は籠城して徹底抗戦の構えを見せたが、8月に陥落した。

董氏皇后は冉智・太尉申鍾・司空條枚・中書監聶熊・司隷校尉籍羆・中書令李垣を始めとした諸王公卿士らと共に捕らえられ、乗輿・服御と併せて薊へ送られた。

前燕皇帝慕容儁は事業の神格化を図る為、董皇后から伝国璽を献上したと嘘の宣言を行い(実際は既に東晋に渡ってしまっている)、暦運が自らに在る事を示した。これにより、董皇后は贈璽君に封じられた。その後の動向は不明である。

伝記資料




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