羽柴小一郎 (秀長の子)とは? わかりやすく解説

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羽柴小一郎 (秀長の子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 17:47 UTC 版)

羽柴 小一郎(はしば こいちろう、生没年不詳)は、羽柴秀長(後の豊臣秀長)の嫡男。別名木下与一郎または与市郎。夭折したとされる。

概要

羽柴小一郎は、羽柴秀長の長男であり、母は智雲院とみられる。名は木下与一郎(または与市郎)とも伝わる。妻は那古野因幡守(那古野勝泰またはその親族)とされ、その娘・岩(のちの智勝院)を娶った[1]

秀長に直系の男子が残らなかったのは、この小一郎が「若くして亡くなってしまった」ためとされる。没年は明確ではないが、天正10年(1582年)の本能寺の変以前、中国攻めの途中で亡くなったと推測されている。

なお、後に小一郎の妻・岩は羽柴秀長の養女となり、森忠政の正室となった[2]

死亡の時期と混同の指摘

小一郎の死については、紀州の十津川(または十津)で病により没したとする伝承もあるが、これは後年に秀長の養嗣子となった豊臣秀保(甥)の死と混同された可能性があるとの指摘がある。

また、秀長が丹羽長秀の三男・仙丸(後の藤堂高吉)を養子に迎えたのが天正10年であることから、それ以前にはすでに小一郎が亡くなっていたと考えられている。

脚注

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜第1輯』(1917年、759p)
  • 『陶説 第490-495号』(1994年、日本陶磁協会)

関連項目




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