縫治のエグリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 09:32 UTC 版)
1881年(明治14年)、村瀬秀甫(白)との一局。上辺の白模様が大きくなりそうな状況だが、右上の黒がはっきり生きていない(白a,黒b,白cがある)ため、打ち込み地点によっては両ガラミとされる。ここで黒1とカドに打ち込んだ手が鋭い着想であった。 以下下図のように運び、黒は上辺の白模様の中で所帯を持った。局後に、この構想を秀甫は激賞したと伝えられる。「先の模範局」とされる一局である。
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