簡嬪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 06:11 UTC 版)
簡嬪(かんひん、? - 乾隆52年(1787年)以前)は、清の嘉慶帝の皇子時代の格格(側室)。姓は蘇完瓜爾佳氏(関佳氏)。内務府鑲黄旗の出身。父は拜唐阿徳成。嘉慶帝即位後に簡嬪に追封された。
生涯
乾隆帝の治世における内務府選秀において、関佳氏は嘉親王(後の嘉慶帝)の格格(側室)として指名された。
乾隆45年(1780年)4月11日に、嘉慶帝の第一皇女を出産した。しかし、乾隆48年(1783年)11月1日、長女である大格格は夭折した。
乾隆52年(1787年)までに、関佳氏はすでに亡くなっていた。嘉慶2年(1797年)4月22日、嘉慶帝は内閣に対して勅命を下し、潜邸(皇帝が即位前に住んでいた邸宅)時代の側福晋であった完顔氏を「恕妃」に、格格(側室)であった関氏を「簡嬪」に、沈氏を「遜嬪」に追封した。
関佳氏の弟である拜唐阿愛保(バイタンア・アイバオ)は、恕妃の兄である監生慶宝(チンバオ)、遜嬪の甥である筆帖式福安(フーアン)とともに、嘉慶帝に対し恩賜への感謝を述べる奏折を提出した。
嘉慶3年(1798年)6月18日、東直門外にある静安荘殯宮において、恕妃・簡嬪・遜嬪の追封の儀式が執り行われた。
嘉慶8年(1803年)10月17日、簡嬪の金棺は清西陵にある昌陵の妃園寝に安置された。
伝記資料
- 『清史稿』
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