第一宗像丸とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 第一宗像丸の意味・解説 

第一宗像丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/09 16:20 UTC 版)

第一宗像丸
基本情報
船種 石油タンカー
所有者
  • 出光興産株式会社船舶部
    (1957年4月から)
  • 東洋海事工業株式会社
    (1963年5月11日から)
運用者
  • 宗像海運株式会社
    (1962年10月1日から)
  • 東洋海事工業株式会社
    (1963年5月11日から)
建造所 佐世保船舶工業株式会社佐世保造船所第四ドック
改名 第一宗像丸→東福丸(1963年9月から)
経歴
進水 1957年4月
竣工 1957年6月
要目
総トン数 1,972 t
載貨重量 3,050 t
全長 82 m
全幅 12.6 m
深さ 6.5 m
満載喫水 5.61 m
ボイラー 舶用乾燃室付油焚強風送風式標準五号ボイラー
主機関 阪神Z6TS4サイクル単動排気ガス
ターボチャージャー付ディーゼル機関 1基
最大出力 1800軸馬力
電源
  • 4サイクル単動無気噴油ディーゼル機関 75馬力 2台
  • 三相交流 60サイクル 230 V 75 kVA
最大速力 13.01 kt(満載時)
航海速力 11.25 kt(満載時)
テンプレートを表示

第一宗像丸(だいいちむなかたまる)は、かつて出光興産が所有していた白油タンカー

1957年(昭和32年)4月、佐世保船舶工業株式会社 (現佐世保重工業) 佐世保造船所第四ドックで進水した。機船第一宗像丸機船タラルド・ブロビーグ衝突事件で知られる。

概要

第一宗像丸は、1957年(昭和32年)4月佐世保船舶工業株式会社佐世保造船所第四ドックで進水、同年6月竣工ののち出光興産に引き渡され、以後出光本社船舶部に所属となった。クリーン・タンカーとして出光徳山製油所から神戸、川崎、佐世保、その他マニラなどへの白油輸送に専従した。

1962年(昭和37年)10月1日、出光興産子会社宗像海運株式会社の設立とともにこの会社に裸用船された[1]

1962年(昭和37年)11月18日、機船第一宗像丸機船タラルド・ブロビーグ衝突事件が発生した。第一宗像丸はほとんどの区画を焼損、36名が水死し、タラルド・ブロビーグ号も衝突に伴う破孔と、それに次ぐ火災により焼損、1名が死亡した。そして風潮の影響により第一宗像丸の破口部から流出したガソリン・ガスが拡散し、B重油160キロリットルを載せて付近を航行していた太平丸の操舵室に流入し引火、爆発した。これにより太平丸の乗組員は1名が死亡、 1名が水死した。太平丸の爆発により海面に浮いているガソリンに延焼、火災となり、生ゴム65トンを載せて太平丸の後方を東行中の機附帆船宝栄丸に燃え移り全焼、 2名が死亡する事態となった。

先述の事故発生後は、三菱重工業横浜造船所の岸壁に係留されたままであったが、1963年(昭和38年)5月11日に東洋海事工業株式会社へ売却された。その後、同社では波止浜造船所で大修理を加え、1963年(昭和38年)9月に東福丸として再生された。

脚注

  1. ^ 出光松寿会 1963, p. [要ページ番号].

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  第一宗像丸のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第一宗像丸」の関連用語

第一宗像丸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第一宗像丸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第一宗像丸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS