秋乕太郎
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秋 乕太郎(あき とらたろう、1865年12月31日(慶応元年11月14日[1]) – 1922年(大正11年)12月15日[2])は、衆議院議員(憲政会)。秋虎太郎とも書く。
経歴
下総国葛飾郡関宿町(千葉県東葛飾郡関宿町を経て現野田市)[3]で関宿藩士秋汲平の子として生まれる[4]。明倫学舎と紫溟学舎で学んだ[3]。小学校教員や新聞記者を経て[3]、1890年(明治23年)、本郷区会議員に当選。以後、連続当選を重ね、議長にも就任した。1891年(明治24年)には東京府会議員に当選し、1896年(明治29年)には東京市会議員に、当選した[4]。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。
その他、禅徒生命保険株式会社取締役[4]、東京医学講習所(現在の東京医科大学)主幹[5]などを務めた。
脚注
参考文献
- 『現今日本名家列伝』日本力行会出版部、1903年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
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