福田与志とは? わかりやすく解説

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福田与志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/01 07:22 UTC 版)

福田 与志(ふくだ よし、1872年(明治5年)4月14日 - 1912年(大正元年)11月28日[1])は、明治・大正期の盲啞教育家、松江聾啞学校の創設者。戸籍名は福田ヨシであるが、兄 福田平治の妻 ヨシ[2]とまぎれぬように与志とされた[3]。明治期に女性として初めて聾啞学校を開き、無報酬で教育にあたり、兄の福田平治も松江で育児院を開き、兄妹とも山陰の社会事業の先駆者として知られる[4]

経歴

生いたち

1872年に鳥取市で運送業を営む福田清七、母イソの3番目の子供として生まれた[3]。家族は曽祖母、祖父母、父母、兄、姉の8人で、雇い人が3人の暮らしぶりであった。事業意欲が旺盛な祖父の平兵衛は、1876年に鳥取県と島根県の合併により島根県となっていた島根県庁御用の印刷所を始めるために、1878年(明治11年)に祖母お仲と兄平治を伴って松江に移住した[3]。その後、祖父、父が相次いで死亡したが、兄の平治は15歳になったばかりでありながら、印刷業発展のために奮闘していたので、曽祖母と母、ヨシの3人で1879年に松江に移った。翌1880年、8歳のヨシは島根県女子師範学校附属小学校に入学した[3]

順調な兄の印刷事業

1881年、5年前に合併した島根県から再び、因幡・伯耆が分離され鳥取県となった機会をとらえて、平治は鳥取分工場を設置して新県庁の印刷用達を受けるようになった[3]

異例の師範学校入学

1886年、ヨシは附属小学校中等科6年前期を卒業して島根県師範学校に入学した。本来は小学校高等科卒業が入学資格であり、中等科6年後期も終えていない者が入学を許されたのは異例であった。1889年、島根県尋常師範学校(1886年に改称)女子部を卒業後に本庄小学校の訓導となったが、未就学児童のひとりの女児が学校に遊びに来るのを目撃して心を痛めていた[4]。また、兄の福田平治は洪水で孤児となった子どもたちのために、1896年に松江育児院を創立、運営していたが[5][3][6]、そこにも児もいたので、妹の与志に啞教育の研究を勧めたので本庄小学校を1898年に退職、京都に出て京都盲啞学院(京都市立盲啞院)の助教諭となった[4]。その後、1900年に東京盲啞学校に転じ、実際に教員として授業をしながら1年間、研修し、専門性を高めた[5]。さらに、東京高等師範学校長の伊沢修二に師事してベル視話法の理論を研究し教育効果が大きいことを知った[4]。翌1901年に再び京都市立盲啞院に帰って訓導になり、4年間在職して盲啞教育について学ぶ[4]

学校設立のために奔走

1905年に松江に帰って私立松江聾啞学校(現・島根県立松江ろう学校・盲学校)の設立準備に取りかかり、市長や郡長を尋ね回って、基金や生徒募集への協力を取り付け、5月に認可を得た[4]。この時の校舎は松江市母衣町の民家の一室を借りたもので[7]、当時の児童数は、盲児5人、ろう児7人であった[5]。1907年に経営が松江婦人会に移管され、校名を「松江私立婦人会盲啞学校」と改め、校主は婦人会長松永知事夫人となり、ヨシは一教諭となる[8]。さらに1911年に財団法人松江盲啞学校として新発足、校長は師範学校長が兼任[8]

心労で死去

1912年、落成したばかりの寄宿舎の一室で死去[4][5]、40歳であった[3]

脚注・参考文献

脚注

  1. ^ 福田与志(フクダ ヨシ)”. コトバンク. 2025年9月1日閲覧。
  2. ^ 院児と記念写真」『福田平治翁自伝 : 山陰社会事業の父』1992年https://dl.ndl.go.jp/pid/13295241/1/7 
  3. ^ a b c d e f g 石原「盲児・啞児の慈母 福田与志」1989年7月。 
  4. ^ a b c d e f g 沢弘吉 著「福田与志」、文部省大臣官房調査統計課 編『人物を中心とした教育郷土史』帝国地方行政学会、1972年、508-509頁https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/12050685/1/263?keyword=福田 
  5. ^ a b c d 「福田ヨシ先生のおはなし」(紙芝居)”. 島根県立松江ろう学校. 2025年9月1日閲覧。
  6. ^ 福田平治翁自伝 : 山陰社会事業の父』1992年https://dl.ndl.go.jp/pid/13295241/1/6 
  7. ^ 明治38年 妹与志とともに」『福田平治翁自伝 : 山陰社会事業の父』1992年https://dl.ndl.go.jp/pid/13295241/1/8?keyword=明治38年 
  8. ^ a b 福田与志女史略年譜付盲学校沿革」『福田平治翁自伝 : 山陰社会事業の父』1992年、227頁https://dl.ndl.go.jp/pid/13295241/1/131 

参考文献

外部リンク




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