禅徳寺_(美濃加茂市)とは? わかりやすく解説

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禅徳寺 (美濃加茂市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 08:14 UTC 版)

禅徳寺
所在地 岐阜県美濃加茂市伊深町887
位置 北緯35度30分08.9秒 東経137度00分19.1秒 / 北緯35.502472度 東経137.005306度 / 35.502472; 137.005306座標: 北緯35度30分08.9秒 東経137度00分19.1秒 / 北緯35.502472度 東経137.005306度 / 35.502472; 137.005306
山号 大仙山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 聖観世音菩薩座像
創建年 寛文8年(1668年
開山 一秀玄廣
開基 佐藤吉次
札所等 美濃三十三観音霊場十二番、中濃八十八ヶ所霊場六十五番
法人番号 1200005006500
禅徳寺
禅徳寺 (岐阜県)
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禅徳寺(ぜんとくじ)は、岐阜県美濃加茂市伊深町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は大仙山。

歴史

美濃三十三観音霊場十二番、中濃八十八ヶ所霊場六十五番である。

一説によると承元年間(1207~1211年)、高倉秀仁(恵通僧都)が初めて小庵を結び、大仙坊という天台宗の寺院であったとされる。

天文年間(1532~1555年)、大仙祖吟が、禅徳庵を開山した。

天正2年(1574年)、妙心寺の末寺となり、大徳山 禅徳寺と号した。

寛永年間(1624~1644年)、実休祖休が、その後を嗣ぎ、

寛文8年(1668年)、佐藤吉次と代官の中村五郎右衛門龍福寺四世の一秀玄廣を開山に招いて現在地に開創した。

伊深の地は臨済宗妙心寺派の開祖である関山慧玄の聖長胎養の地であり、その旧跡を偲んで正眼寺が開かれているが、当時はその南に位置し、

同じ臨済宗妙心寺派に属することから卜雲寺、龍安寺、放光寺とともに正眼寺 四隣寺として交流が深かった。

また、寺の前には天和2年(1682年)に、旗本の伊深佐藤氏に対して年貢の減免を訴えて仕置された天和義民事件[1]の犠牲者を供養する石地蔵があるほか、十王堂がある。

寺宝

関山慧玄が当地に滞在していた際に所持していたとされる笈と念持仏が残されており、開山様のじょりぬぎばという通称がある。

参考文献

  • 『美濃加茂市史 民俗編』 第一二章 仏寺と法会 第八節 伊深 禅徳寺 p414 美濃加茂市 1978年
  • 『美濃国加茂郡誌』 第七章 宗教 第二節 寺院 【伊深 禅徳寺】 p774~p775  岐阜県加茂郡役所 1921年
  • 『美濃伊深村の歴史と民俗 神社と仏寺』 佐野一彦

脚注

  1. ^ 天和2年(1682年)、伊深村の百姓代表が年貢の減免を幕府へ訴え出て、裁決により百姓32名が入牢、打首又は獄死した事件



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