石川長貞とは? わかりやすく解説

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石川長貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/29 02:40 UTC 版)

 
石川 長貞
時代 室町時代
別名 八郎左衛門尉
戒名 正寿
官位 佐渡守
主君 一色詮範一色満範一色義範
氏族 丹後石川氏
勘解由左衛門尉長祐
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石川 長貞(いしかわ ながさだ)は、室町時代武将。姓は石河とも記される。丹後一色氏の家臣。若狭国今富名代官[1]

概要

明徳3年(1392年)に一色満範丹後守護に就任すると、長貞はこれに従った[2]。また、同年の相国寺供養の際には範満の弟・範貞に従っている。

応永6年(1399年)6月に、若狭国今富名代官であった小笠原長春丹後守護一色詮範一色満範との抗争に敗れ、与謝郡石川城で自害させられると、長春に代わって今富名の代官に任じられた[3]

満範が守護の時代には、在京奉行の筆頭として活動した[4]

代官職は応永20年(1413年)1月に子の勘解由左衛門尉長祐へと譲られた[5]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 河村昭一『南北朝・室町期一色氏の権力構造』(戎光祥出版、2016年)
  2. ^ 宮津市史編さん委員会編『宮津市史 史料編 第1巻』(宮津市、1996年)
  3. ^ 河村昭一『南北朝・室町期一色氏の権力構造』(戎光祥出版、2016年)
  4. ^ 河村昭一『南北朝・室町期一色氏の権力構造』(戎光祥出版、2016年)
  5. ^ 河村昭一『南北朝・室町期一色氏の権力構造』(戎光祥出版、2016年)

参考文献

  • 河村昭一『南北朝・室町期一色氏の権力構造』(戎光祥出版、2016年)



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