町田克己とは? わかりやすく解説

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町田克己

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/18 05:39 UTC 版)

町田 克己(まちだ かつみ、1943年3月11日 - )は、日本競輪選手会群馬支部に所属していた元競輪選手日本競輪学校第18期生。

受賞歴

  • 第18期 新人賞
  • 1964年 第十四回高松特別競輪 優勝
  • 1967年 朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦G1 5位
  • 1967年 奈良特別競輪 優勝
  • 1968年 岸和田特別競輪 優勝
  • 1968年 いわき平G3 十八周年後節 優勝
  • 1969年 一宮特別競輪 優勝
  • 1970年 高松宮賜杯大津びわこ競輪 準優勝

その他、記念競輪優勝は10回。

1968年第十三回オールスター競輪(G1) 5着

生涯における一着の獲得回数は500回以上にのぼる。2001年、58歳まで現役選手として活躍した。

人物像

  • 昭和40年代に興った「群馬大国」を築いた選手の一人。
  • 1970年、この年は9月の開催となった高松宮杯競輪の決勝戦では、2着。この時、一着は田中博、3着に福島が入り、群馬勢が表彰台を独占、群馬王国を築き上げつつあった年でもあった。
  • 逃げ、捲り、両方をこなした。
  • 大怪我をしたあとでも見事な復帰を繰り返したことから「不死鳥」との異名も持つ。
  • 愛用自転車は片倉シルク等を経て、最終的にレミントンに落ち着いた。
  • 「朝起きドーナツ会」と呼ばれる練習グループで毎日早朝4時半より街道練習をしていた。練習後は地元前橋ミスタードーナツコーヒーを飲むのが習慣だったために、そう呼ばれていた。
  • 「自分には厳しく、他人には優しい」妥協の無い選手だった、と語られている。
  • 1977年、地元前橋で行われたレースの際、反則選手の妨害によりリムとタイヤが破損し、まともに進める状態にも拘らず自力でゴールまで辿り着いた。



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