田中健一 (司教)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田中健一 (司教)の意味・解説 

田中健一 (司教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 23:39 UTC 版)

ライムンド 田中健一
Raymond Ken'ichi Tanaka
カトリック京都司教区名誉司教
教会 カトリック教会
着座 1976年9月23日
離任 1997年6月15日
前任 古屋義之
後任 大塚喜直
聖職
司祭叙階 1951年12月21日
司教叙階 1976年9月23日
個人情報
出生 (1927-08-31) 1927年8月31日
愛媛県宇和島市
死去 2021年7月29日(2021-07-29)
愛媛県宇和島市
テンプレートを表示

田中 健一(たなか けんいち、1927年8月31日 - 2021年7月29日)は、日本のカトリック司教。洗礼名はライムンド。カトリック高松教区教区長であった田中英吉司教の甥にあたる。

生涯

1927年8月31日、愛媛県宇和島市に生まれる。泰星中学校(福岡市・現上智福岡中学校)を経て1944年に長崎公教神学校、1946年に大阪関目仮神学校、1948年に東京神学院に入学した。1951年12月21日に高松教区にて司祭叙階。1952年から58年まで、ローマなどに留学した。帰国後は、大阪教区の甲陽園と園田、1964年から高松教区の桜町、三本松、長尾、大島の各小教区で働く。1976年7月8日、ローマ教皇パウロ6世により京都教区司教に任命、同年9月23日、司教に叙階された。司教協議会では諸宗教対話を担当。1986年、アッシジでの「世界平和の祈りの集い」に、1987年には日本での「比叡山宗教サミット」に参加した。1997年6月15日、京都教区長を引退し、名誉司教となる。2021年7月29日、宇和島市内の病院で誤嚥性肺炎のため死去(93歳)[1]。葬儀は8月1日、京都教区の大塚司教司式により、カトリック宇和島教会で執り行われた[2][3]

脚注

  1. ^ 京都教区名誉司教 ライムンド田中健一司教帰天”. カトリック東京大司教区 (2021年8月2日). 2021年8月2日閲覧。
  2. ^ 田中健一・京都教区名誉司教死去 93歳”. Christian Today (2021年8月2日). 2021年8月2日閲覧。
  3. ^ 『カトリック新聞』2020年8月8日。第4586号。1面。

外部リンク

先代
古屋義之
カトリック京都司教区教区長
1976年 – 1997年
次代
大塚喜直



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  田中健一 (司教)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田中健一 (司教)」の関連用語

田中健一 (司教)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田中健一 (司教)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田中健一 (司教) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS