玉井定時とは? わかりやすく解説

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玉井定時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/24 01:10 UTC 版)

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玉井定時
時代 江戸時代前期  
生誕 正保3年(1646)
死没 享保5年(1720)
別名 以長斎
諡号 以長禅定門
官位 与力
氏族 井関→玉井
与市右衛門定勝

玉井与左衛門定時(たまい よざえもん さだとき、正保3年(1646年) - 享保5年(1720年))は、江戸時代奈良奉行所与力。『庁中漫録』・『元禄年間山陵記録』・『大和名勝志』の執筆者。

来歴

正保3年(1646年)奈良奉行所の与力、井関六大夫の長男として生まれ、若いころは大和国郡山藩に仕えて大和各地の文献や伝承を調査した。延宝7年(1679年)33歳の時、父の跡を継いで与力になった。天和2年(1682年)奈良奉行に大関増公が着任、翌年改姓を命じられ、玉井姓となった。姓のうちに“関”があったからである。奉行所では執務のために関係資料を収集する必要が生じたため、定時にも文献調査とその記録が命じられた。奉行所を退職した後は、大和の地誌である大和名勝志全16巻を完成させ、享保5年(1720年)に75歳で世を去った。

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