潘祕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 16:02 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動潘 祕(はん ひ、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の武将。荊州武陵郡漢寿県の人。父は潘濬。兄は潘翥。妻は陳氏(孫権の姉の娘)。
生涯
潘濬の次男として生まれた。建安24年(219年)、関羽が敗れて荊州が呉に占領されると、潘祕は潘濬と共に呉に仕えた。
潘祕は孫権からその姉の娘の陳氏を与えられ、湘郷県令に任ぜられた[1]。
襄陽の習温(習珍の子)は、荊州の大公平[2]となった[3]。潘祕は習温のもとを訪れて挨拶した際に尋ねた「亡父(潘濬)はかつて、君侯(習温)はきっとわが郷里の人物評論の中心になられるであろうと申したことがありましたが、いまはたして父の言葉のようになられました。郷里の者たちのうちで、誰があなたのあとを継ぐことになりましょう」。習温がいった「あなたに勝る者はない」。のちに潘祕は尚書僕射となり、さらに習温のあとを継いで大公平となって、その郷里において高い評判を得ることができた[4]。
参考文献
脚注
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