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清水永三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 15:40 UTC 版)

清水 永三郎(しみず えいざぶろう[1][2] / えいさぶろう[3]1858年3月30日(安政5年2月16日[4])- 1902年明治35年)11月22日[3][5])は、明治期の政治家衆議院議員群馬県北甘楽郡高瀬村長。

経歴

上野国甘楽郡上高瀬村(群馬県[3]甘楽郡上高瀬村[2]、高瀬村、熊谷県甘楽郡高瀬村、群馬県甘楽郡高瀬村、北甘楽郡高瀬村、高瀬村[1][4]、甘楽郡高瀬村を経て現富岡市[1]上高瀬)で、豪農[4]・嘉蔵の長男として生れた[1][4]小幡藩士・菅沼正志から漢籍を学び[4]、19学区滴川学校[4]、熊谷県立暢発学校(のち群馬県師範学校)で学び[1][2][4]、小学校教員を務めた[1][2][3]。その後、山井幹六に師事し漢籍、詩文を修めた[4]

1878年(明治11年)有志と生産会社を設立して頭取に就任したが1880年(明治13年)に辞任し[4]自由民権運動に加わる[4]

高瀬村外二ケ村御用掛、北甘楽郡教育会員、高瀬村会議員、連合町村会議員、群馬県蚕糸業組合議員、高瀬村長などを務めた[1][2][3][4]。1883年(明治16年)群馬県会議員に選出され3期在任した[1][2][3]

1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(群馬県第5区、無所属)で当選し[1][2][6]、公同倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任[3]。同年9月の第4回総選挙(群馬県第5区、立憲革新党)では次点で落選した[1][7]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 『群馬県人名大事典』256頁。
  2. ^ a b c d e f g 『群馬新百科事典』375-376頁。
  3. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』314頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j k 『上毛近世百傑伝 上』320-327頁。
  5. ^ 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』223頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』18頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』79頁。

参考文献

  • 山中啓一『上毛近世百傑伝 上』山中啓一、1891年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。



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