浅井惟安
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正元年8月27日(1573年9月23日) |
別名 | 福寿庵(庵号) |
主君 | 浅井久政、長政 |
氏族 | 浅井氏 |
父母 | 浅井清政 |
兄弟 | 碧潤、惟安、貞政、田屋明政、秀信 |
浅井 惟安(あざい これやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。浅井氏の家臣。
来歴
永禄3年(1560年)に久政が隠居した後もこれに従った。小谷城の福寿丸に居を構えその名が庵号となった。
天正元年(1573年)、小谷城の戦いでは京極丸を守備する。小丸に移動してからは久政の介錯を務めた後、自害した。子孫は美濃国に落ち延びたと伝わる。
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