池田修治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/26 05:42 UTC 版)
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池田修治 | |
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国籍 | ![]() |
生年月日 | 1975年??月??日 東京都 |
池田修治(いけだ しゅうじ、1975年-)は日本のロードレースライダー。東京都出身。当時流行していた走り屋上がりのバイクレーサー。いわゆる峠の走り屋ではなく東京近郊の湾岸エリアで腕を磨いてレース界へ進出した人物。
来歴
1992年にSS:NB250クラス(4ストローク250ccエンジン)レースに出場。当時のSS:NBクラスはCBR250RRが圧倒的有利とされながらZXR250にて参戦した。初参戦時、自己資金によるサポート無しの個人参加にも関わらず3位入賞。スポット参戦ながら3戦目にして初優勝を果たす。優勝時のレースにおいては筑波サーキットのNB:SSクラスのコースレコードを樹立している。同年、後半はKawasakiがサポートする月木レーシングに所属して参戦し総合ランキング4位となる。
SS750クラスにもスポット参戦していたが小柄な体格だった為、大型車両を乗りこなすのに苦戦し、目立った成績は残されていない。
1993年に国内A級ライセンスを取得する。jha(城北ホンダオート)へ移籍する。東日本NA250クラスにフルエントリーし全12戦中3回優勝し総合ランキング3位となる。
1994年も同様にjha(城北ホンダオート)より参戦する。東日本NA250クラスにフルエントリーし全12戦中2回優勝し総合ランキング6位となる。同シーズン第9戦SUGOラウンドでは5台による激しいトップ争いが繰り広げられていた、3位を走っていた池田は2位の藤原をアウト側から抜きに出た。その際に藤原がハイサイドを起こし、跳ね上がった車両が池田の車両を直撃、後続車6台が絡む多重クラッシュとなった。その時の怪我により以後のレースは欠場している。このため、翌年はGPクラスへの参戦が予定されていたが、怪我の具合から見て頓挫する事となった。
1995年にテストライダーとして復帰するも中半にしてバイクレース業界から引退した。
エピソード
雑誌SYCLE Soundsのインタビューによると、本人曰く、当時好きだった彼女とのデート資金を稼ぐ為、小遣い稼ぎでレースに参戦していただけで未練は無いと語っていた。レース参戦当時は高校生だった為、特別な練習などは行っていなかったと言う。天性の才能と質を持ちながらも、その素質を維持し続ける事は無かった。
バイクのコントロールにおいては群を抜くセンスとテクニックを持ち、前輪に過重を掛けるスタイルでリヤタイヤのスライドをコントロールする独特な走行に闌けていた。暴れるリヤタイヤを絶妙にコントロールする姿は観る者を魅了するほどであった。
本人もフロントタイヤさえ逃げなければ(滑らなければ)転倒することは無いと語っていた。現にレース中及びテスト走行中の単独転倒は1度も無かったとされている。
NA昇格後2戦目の筑波ラウンドでは2位以下に大差を付けて独走状態であった、余裕を持って最終コーナーへ進入した池田は左拳を掲げたままリヤタイヤをフルロックさせグラベルベッド寸前まで華麗なドリフトパフォーマンスを見せた。
故、加藤大治郎と一緒に走った際に、大治郎は、いつ飛ぶか心配で後ろに付く事が出来なかったが本当にマシンコントロールが上手いと語っていた。一方で池田は本気で限界まで攻めたのに大治郎を引き離す事が出来ず、大治郎のような相手が居たら勝ち目が無い、レベルが全然違うと語っていた。(この時、大治郎は市販車ベースのNSR250に乗っていたのに対して池田はレース専用車両のRS250に乗っており苦汁をなめさせられる結果となった)SYCLE Sounds:加藤大治郎密着日記より抜粋
また天候不良時のレースに滅法強く、優勝したレースの全てが雨天時?だったと記録されている。 同期のライダー:阿部典史・武田 雄一・辻村猛等の強豪ライダーが多数存在したバイクレース全盛期の1人だった。
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