永井流養蚕術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/27 09:40 UTC 版)
永井流養蚕術(ながいりゅうようさんじゅつ)は、群馬県で明治時代に発案された養蚕技術。名称は発案者である片品村出身の永井紺周郎(ながい こんしゅうろう、1887年没)にちなむ。
その主な手法は「いぶし飼い」と呼ばれるもので、蚕室内に火を起こして煙で充満させる[1]。これは、戊辰戦争中に永井宅に寄宿した官軍が火を炊いたあと、作に恵まれたことから着想したとされ、火や煙がカイコに不適とする当時の常識を覆すものであった[1]。
永井は妻のいととともに、報酬を受け取ることなく、主に群馬県北部・中部でこの技術の普及に努めた[1]。門下生は1500人以上に上るとされ、その指導に感謝する記念碑が群馬県下に複数残されている[1]。しかし、永井は文献資料をほとんど残さなかったため、永井の没後、養蚕農家の減少とともにその事績は次第に忘れられた[1]。
2010年代になって、永井の地元である片品村ではその功績を伝える取り組みが進められている[1]。
2014年7月、永井流養蚕術の拠点であった「永井流養蚕伝習所実習棟」(片品村針山)が片品村の需要文化財に指定された。
2015年2月2日、群馬県は、ぐんま絹遺産推進委員会が永井流養蚕伝習所棟についてぐんま絹遺産とする決定(1月27日)を受けて、「ぐんま絹遺産」登録をした[2]。
2015年4月24日、文化庁が永井流養蚕伝習所実習棟を日本遺産「かかあ天下‐ーぐんまの絹物語」の構成文化財の一つとして認定した[3]。
脚注
- ^ a b c d e f (9)永井夫妻の功績伝承へ - 読売新聞群馬版2013年4月17日(連載企画「創る・絹の道」)
- ^ “永井流養蚕伝習所実習棟”. 群馬県庁 ぐんま絹遺産・ぐんま絹遺産データベース. 2015年7月23日閲覧。
- ^ “「日本遺産 (Japan Heritage) 」について”. 文化庁. 2015年7月23日閲覧。
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