椎本邦一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/10 13:02 UTC 版)
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基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1958年5月1日(64歳) | |||||
出身地 | ![]() |
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選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
駒澤大学 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
住友金属 | ||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
椎本 邦一(しいもと くにひと、1958年5月1日 - )は、日本のスカウト、元サッカー選手・指導者。鹿島アントラーズFCスカウト担当部長[1]。東京都出身。
サッカー選手としての現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。駒澤大学から日本サッカーリーグの住友金属でプレーし、30歳のときに引退した[2]。
その後は住友金属でコーチを務めていたが、同部が日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の鹿島アントラーズになったことに伴い、ユースのコーチ、監督に就任した。監督を務めたのち、同クラブ強化部にスカウト専門の人物がいなかったことから、1994年12月よりスカウト担当となる[2]。
スカウトとして初めて担当した選手は平瀬智行、池内友彦、柳沢敦[3]。鹿島一筋でスカウトを担当し続け、2018年5月に還暦を迎えた時点では大卒15名、高卒32名をクラブに加入させた。中田浩二、小笠原満男、本山雅志、曽ケ端準、大迫勇也、柴崎岳、昌子源、植田直通などといったサッカー日本代表メンバーにもなった選手のスカウトを担当したほか[3]、昌子、安部裕葵などといった鹿島入り前は無名に近かった選手も発掘し、名スカウトと評される[4]。
脚注
- ^ “何かを犠牲にして人より努力できる者だけが、一流になれる” (日本語). 駒大PLUS. 2022年3月8日閲覧。
- ^ a b 椎本邦一 (2018年5月19日). インタビュアー:二宮寿朗. “柳沢、内田、柴崎らを見つけた鹿島の名スカウトに学ぶ「仕事とは何か」”. 文春オンライン (文藝春秋): p. 1 2022年3月11日閲覧。
- ^ a b “鹿島・椎本スカウト部長、引き抜いてきた選手を日本代表に多数輩出”. サンスポ. (2018年5月1日) 2022年3月11日閲覧。
- ^ 椎本邦一 (2018年5月19日). インタビュアー:二宮寿朗. “柳沢、内田、柴崎らを見つけた鹿島の名スカウトに学ぶ「仕事とは何か」”. 文春オンライン (文藝春秋): p. 2 2022年3月11日閲覧。
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