桜井斎頼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 桜井斎頼の意味・解説 

桜井斎頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 13:02 UTC 版)

 
桜井斎頼
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 治承元年(1177年)?
死没 宝治元年(1247年)?
幕府 鎌倉幕府
主君 実朝
テンプレートを表示

桜井斎頼(さくらい ときより)は鎌倉時代初期の信濃国の武将百舌鳥鷹狩をする名人であった。

生涯

吾妻鏡によれば元久三年(1206年)3月12日に源実朝が「桜井斎頼」の話を聞く。 齋頼は、特に鷹を飼う名人で、実朝の前で鷹を飼う秘訣や昔話などを話し、百舌鳥でさえ鷹の様に狩をさせることが出来ると話した。その証拠を見せてほしいと、桜井に依頼する。

元久三年(1206)3月13日。実朝は執権の北条義時を呼び「桜井五郎というのが居て、百舌鳥で鳥を取らせると言う、ぜひとも見てみたいのだ。でも、それは子供みたいだろうか?」

義時は「源斉頼は、鷹狩の専門家だったそうです。子孫まで伝わってれば、それは特異なことです。もし、根拠のない噂ならば、恥をかくことになるので、内緒で聞いてみましょう」と言いました。

その言葉が終わらないうちに、桜井五郎は実朝の目の前に参上し、餌袋を右の腰に下げ、百舌鳥一羽を左腕に乗せていた。

義時は興味を持ち、大江広元三善善信達も集まってきた。

桜井は庭に出ると、百舌鳥(モズ)を行かせて、三羽を捕えました。その技に観客は感動した。

桜井が言うのには「小鳥を取るのは普通ですよ。雉でさえも行える。」 実朝は満足して、桜井に褒美に刀を与えた。[1]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 吾妻鏡 元久三年丙寅(1206)三月大 

参考文献

  • 吾妻鏡

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  桜井斎頼のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桜井斎頼」の関連用語

1
6% |||||

2
2% |||||

桜井斎頼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桜井斎頼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桜井斎頼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS