藤井貞寿とは? わかりやすく解説

藤井貞寿

(桐原貞寿 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/18 03:45 UTC 版)

藤井 貞寿(ふじい さだとし、明治28年(1895年)月3日4[要校閲] - 昭和19年(1944年)9月9日)は、日本の陸軍軍人。旧姓は桐原で、張作霖爆殺事件を実行。独立工兵第56大隊長・第2野戦船舶廠長を務め、ペリリュー島において戦死を遂げる。階級は陸軍大佐

昭和5年5月16日陸軍工兵中尉桐原貞寿→藤井に改姓[1]

経歴

静岡に生まれ、陸軍士官学校予科で学ぶ。大正10年3月予科を卒業し士官学校本科に進む。

大正12年7月士官学校(35期)を卒業し、同10月陸軍工兵少尉に任官され工兵第20大隊附を命ぜられる。大正15年10月工兵中尉に進級し、昭和8年8月工兵大尉に進む。この間昭和3年6月4日奉天近郊で起きた張作霖爆殺事件では爆弾設置を行ったという。

昭和9年3月工兵第20大隊中隊長を命ぜられ、昭和11年8月父島要塞司令部員に変わる。翌年3月から要塞副官に進み、昭和13年7月には工兵少佐に進級する。昭和17年4月独立工兵第56大隊長を命ぜられ、昭和18年3月中佐に進級する。

昭和18年4月から第2野戦船舶廠長を務め、昭和19年7月第31軍司令部附に移る。昭和19年9月9日ペリリュー戦において戦死、陸軍大佐に進級する。

参考文献

脚注

出典

  1. ^ 昭和5年7月21日 官報第1067号




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤井貞寿」の関連用語

藤井貞寿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤井貞寿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤井貞寿 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS