根本六郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:11 UTC 版)
英多郡(あいたぐん):東端播磨国境沿いの領域。延宝元年(1674年)に英田郡と改称。後、北部が吉野郡に分かれ、1900年(明治33年)に再び合併し英田郡となった。 勝田郡(かつまたぐん):英多郡と苫田・久米郡の間に位置。「勝間田(かつまた)」を中心に後に勝南郡と勝北郡に分かれるが、1900年(明治33年)に合併し勝田郡(かつたぐん)となった。 苫田郡(とまたぐん):中央部の吉井川より北。後に苫西郡・苫東郡に、更にそこから苫北郡・苫南郡が分かれ、西西条郡・西北条郡・東南条郡・東北条郡と名称が変わり、1900年(明治33年)に再び合併し苫田郡となった。 久米郡(くめぐん):中央部の吉井川より南。後に久米南条郡・久米北条郡に分かれ、1900年(明治33年)に再び合併し久米郡となった。 大庭郡(おおにわぐん・おおばぐん):西部の内、蒜山と東半の領域。1900年(明治33年)に真島郡と合併し真庭郡となった。 真島郡(ましまぐん):西端備中国境の領域。1900年(明治33年)に大庭郡と合併し真庭郡となった。
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