栄安固倫公主とは? わかりやすく解説

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栄安固倫公主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 07:25 UTC 版)

栄安固倫公主
続柄 咸豊帝第一皇女

称号 栄安固倫公主
身位 固倫公主
出生 咸豊5年5月7日(1855年6月20日)
死去 同治13年12月29日(1875年2月5日)
配偶者 符珍
父親 咸豊帝
母親 麗嬪
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栄安固倫公主(えいあんこりんこうしゅ、満洲語: ᡩᡝᡵᡝᠩᡤᡝ
ᡝᠯᡥᡝ
ᡤᡠᡵᡠᠨᠨ ᡳ
ᡤᡠᠩᠵᡠ
、転写:derengge elhe gurun i gungju、1855年6月20日 - 1875年2月5日)は、の第9代皇帝、咸豊帝の娘。母はタタラ(他他拉)氏の麗嬪(のちの荘静皇貴妃)。

生涯

咸豊5年5月7日(1855年6月20日)に生まれた。咸豊帝の唯一の娘であり、東太后西太后の寵愛を受け、同治9年(1870年)9月に栄安固倫公主(清の嫡出公主の封爵)に封ぜられた。

同治12年(1873年)8月、西太后の勧めによって世襲一等雄勇公でグワルギャ氏の符珍(出生名は瑞煜。結婚の際に聖旨により符珍と改名)と結婚した。

同治13年(1874年)冬、第一子を妊娠するも、精神的なストレスにより流産。その1ヶ月後の同年12月に天然痘を患い、12月29日(西暦1875年2月5日)に19歳で薨去した。

子女

  • 1人(流産)

参考文献




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