柿並隆正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 17:51 UTC 版)
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|---|---|
| 時代 | 戦国時代 | 
| 生誕 | 大永3年(1523年) | 
| 死没 | 天文24年10月1日(1555年10月16日) | 
| 別名 | 通称:四郎三郎 | 
| 官位 | 佐渡守 | 
| 主君 | 大内義隆→義長 | 
| 氏族 | 多々良姓大内氏庶流柿並氏 | 
| 父母 | 父:柿並隆幸 | 
| 兄弟 | 高石興幸、隆正 | 
| 子 | 幸慶、左衛門 | 
柿並 隆正(かきなみ たかまさ)は、戦国時代の武将。大内氏家臣で、陶晴賢の側近。父は柿並隆幸。
生涯
大永3年(1523年)、大内氏庶流の柿並隆幸の子として生まれる。
天文23年(1554年)6月5日の折敷畑の戦いにおいて、父・隆幸が戦死したため、その後を継いだ。
天文24年(1555年)10月1日の厳島の戦いでは、陶晴賢に従って毛利元就の軍と戦い、戦死した。享年33。子の幸慶が後を継いだ。
参考文献
- 柿並隆正のページへのリンク

 
                             
                    


