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林崎昭裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 06:18 UTC 版)

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林崎 昭裕(りんざき あきひろ、1942年5月27日[1] - 1969年3月3日[2])は、日本の射撃競技ライフル射撃)選手。明治大学在学中に1964年東京オリンピックに出場[3]、男子スモール・ボア・ライフル伏射で6位入賞。

経歴

山形県米沢市出身[4]明治高等学校卒業後[5]、1961年(昭和36年)に明治大学に入学[2]

明治大学入学後、射撃部に入部し頭角を現す[2]。1964年、大学4年生時[6]には射撃部主将を務め、伏射60発競技で日本選手権を獲得した[2]1964年東京オリンピックに男子スモール・ボア・ライフル伏射種目[注釈 1]で出場し、6位入賞(594点)[7]。1位のラスロー・ハンメルは597点で、6位まで3点差という大接戦であった[8]

大学卒業後は競技から引退し、兄の起こした会社に勤務した[2]。1969年(昭和44年)3月3日、交通事故により死去[2]

脚注

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注釈

  1. ^ ISSFのカテゴリでは 50m Rifle Prone Men (FR60PR)。

出典

  1. ^ a b Akihiro Rinzaki”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 総明会周年委員会編纂委員会 2015, p. 119.
  3. ^ 束原文郎 2013, p. 273.
  4. ^ 山形県 中学生の体育資料 2014”. 開隆堂出版. p. 7 (2014年). 2021年5月3日閲覧。
  5. ^ 総明会周年委員会編纂委員会 2015, p. 41.
  6. ^ 明大射撃部略史”. 明治大学体育会射撃部. 2021年5月3日閲覧。
  7. ^ a b Results”. ISSF. 2021年5月1日閲覧。
  8. ^ 総明会周年委員会編纂委員会 2015, p. 118.

参考文献

関連項目

外部リンク




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