板津宇平治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/07 01:27 UTC 版)
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板津 宇平治(いたつ うへいじ、1864年(元治元年)6月28日 - 1928年(昭和3年)6月19日)は、岐阜県加茂郡富加町出身の政治家[1]。
生涯
滝田で坂津家第16代当主として生まれる。1875年1月、滝田村法源寺住職板津玄妙和尚について、和漢学を修める。
1884年10月、村戸長役場に勤める。
1885年6月に第3師団歩兵隊に入営し、1888年4月に満期除隊となり、役場に就職。会議員、収入役、区長を併任した。
1894年9月17日、日清戦争に従軍し、朝鮮へ出兵し各地の守備隊として奮戦、1895年12月24日に帰還。
同戦役の功により勲八等瑞宝章を下賜。役場に再就職して、1897年4月1日、合併した初代富田村村長に就任して以来、30年間村政を行う。その間、郡会議員に選出され、郡議会長となる。加茂郡銀行の設立に貢献した。65歳で死去[2]。
脚注
参考文献
- 富加史
外部リンク
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