松ヶ島城下時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 01:16 UTC 版)
鎌倉時代初期の建久6年(1195年)、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)上人は東大寺大仏殿復興大勧進のために、細頸に不断念仏道場を建てた。南北朝時代の正長元年(1428年)には戦火で廃墟となった。文亀元年(1501年)、敬誉(きょうよ)上人が伊勢神宮参拝の際に不断念仏院を訪れて復興を志し、28年間にわたって浄財集めを行った。敬誉上人は「樹敬上人」と呼ばれて親しまれていたことが寺号の由来である。
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