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李遵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/14 02:32 UTC 版)

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李 遵(り じゅん、465年 - 508年)は、北魏官僚軍人は良軌。本貫趙郡柏人県

経歴

李綜(李霊の子)の子として生まれた。はじめ奉朝請・尚書度支郎に任じられた。洛陽に遷都されると、営構将となった。孝文帝の南征に従い、行台郎となった。孝文帝が洛陽に帰ると、李遵は太子歩兵校尉に任じられた。宣武帝の初年、歩兵校尉に転じ、散騎侍郎を兼ね、盧昶を補佐して東北道副使をつとめた。後に司空諮議に任じられ、中塁将軍の号を加えられた。京兆王元愉冀州刺史となると、李遵は元愉の下で征東府司馬に任じられた。508年永平元年)、元愉が反乱を起こすと、李遵は元愉の召集に従わず、殺害された。享年は44。征虜将軍・幽州刺史の位を追贈された。は簡といった。

子女

  • 李渾(字は季初)
  • 李絵(字は敬文)
  • 李緯(字は乾経)

伝記資料

  • 魏書』巻49 列伝第37
  • 北史』巻33 列伝第21



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