李道広とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 李道広の意味・解説 

李道広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 14:14 UTC 版)

李 道広(り どうこう、生没年不詳)は、唐代官僚政治家は太丘[1]本貫滑州[2][3]

経歴

太常寺卿・隴西郡公李寛の子として生まれた。武周のとき、汴州刺史となった。突厥契丹が河北に侵攻して陥落させたことから、河南の諸州から兵が徴募され、民情は大騒ぎとなった。道広は寛容さと厳格さを折衷させて、善政で知られ、汴州だけは民衆の逃散を引き起こさなかった。ほどなく道広は入朝して殿中監となった[2][4]万歳通天元年(696年)9月、同鳳閣鸞台平章事(宰相)となった[5][6]。金城県侯に封じられた[2][4]聖暦元年(698年)1月、宰相から罷免された[7][8]。のちに死去した。秦州都督の位を追贈された。は成といった[2][4]

子女

  • 李元綜(屯田郎中、荊府長史)[1]
  • 李元繹(都水使者)[1]
  • 李元紘
  • 李元緘(鄆州刺史)[1]

脚注

  1. ^ a b c d 新唐書 1975, p. 2468.
  2. ^ a b c d 旧唐書 1975, p. 3073.
  3. ^ 新唐書 1975, p. 4418.
  4. ^ a b c 新唐書 1975, p. 4419.
  5. ^ 新唐書 1975, p. 96.
  6. ^ 新唐書 1975, p. 1659.
  7. ^ 新唐書 1975, p. 98.
  8. ^ 新唐書 1975, p. 1661.

伝記資料

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  李道広のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李道広」の関連用語

1
李元紘 百科事典
8% |||||

李道広のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李道広のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李道広 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS