李珵器
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李 珵器(イ・ジョンギ、朝鮮語: 이정기/李珵器、1914年[1]または1915年12月28日[2] - 1966年8月13日)は、大韓民国の実業家、政治家。制憲韓国国会議員[2]。
漢字表記は李程器とも[3]。
経歴
日本統治時代の全羅北道南原郡(現・全北特別自治道南原市)またはソウル出身[3]。普成専門学校法科(現・高麗大学校)卒。1942年より南朝鮮商業株式会社取締役・理事を務め、光復後は三光工業株式会社取締役、ソウル文化社社長、朝鮮民族青年団南原郡団長を務めた。1948年の初代総選挙で朝鮮民族青年団の候補として当選し、国会財政経済委員を務めた[2][1][3]。
晩年は貧困と持病に苦しんでおり、治療もまともに受けられずに1966年8月13日未明、ソウル仁旺山麓のテントで死去。52歳没[4]。
エピソード
脚注
- ^ a b “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年3月27日閲覧。
- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年3月26日閲覧。
- ^ a b c “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年3月27日閲覧。
- ^ “制憲議員李珵器(제헌의원이정기)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1966年8月20日). 2025年3月27日閲覧。
- ^ “동아일보 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年3月27日閲覧。
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