李慎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 李慎の意味・解説 

李慎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/13 18:13 UTC 版)

李 慎(り しん、? - 689年)は、中国の太宗李世民の十男。紀王に立てられた。

経歴

李世民と韋貴妃の間に生まれた。貞観5年(631年)に申王に封ぜられ、貞観7年(633年)に秦州都督に任じられた。貞観10年(636年)、紀王に改封され、実封800戸を賜った。貞観17年(643年)、襄州刺史に任じられた。善政で知られ、太宗もその精勤を特筆し、百姓がかれを顕彰する石碑を立てた。貞観23年(649年)、実封1000戸を加えられた。永徽元年(650年)、左衛大将軍に任じられた。永徽2年(651年)、荊州都督となり、邢州刺史に転じた。文明元年(684年)、太子太師を加えられ、貝州刺史に転じた。李慎は学問を好み、文章と歴史に通じて、越王李貞と並び称され、「紀越」と呼ばれた。

垂拱4年(688年)、李貞らが起兵して武則天打倒を謀ったが、李慎はその時機ではないと同調を拒否した。李貞らが敗れた後、獄に下されて一命を許され、「虺」と氏を改められた。永昌元年(689年)7月、檻車に乗せられて巴州に流される途中、蒲州で亡くなった。

子女

男子

  1. 李続(東平王、和州刺史)
  2. 李琮(義陽王、沂州刺史)
  3. 李叡(楚国公)
  4. 李秀(襄郡公、遂州別駕)
  5. 李献(広化郡公)
  6. 李欽(建平郡公)
  7. 李証(嗣紀王、徳瀛冀三州刺史、左驍衛将軍)

女子

  1. 東光県主 李楚媛(裴仲将の妻)

伝記資料

  • 旧唐書』巻76 列伝第26「紀王慎伝」
  • 新唐書』巻80 列伝第5「紀王慎伝」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李慎」の関連用語

李慎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李慎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李慎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS