李夫人 (北斉武成帝)
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李夫人(りふじん、生没年不詳)は、中国北斉の武成帝高湛の妃嬪。もとは東魏孝静帝元善見の妃嬪であった。李叔譲の娘。本貫は趙郡平棘県。
生涯
はじめ、孝静帝の嬪として東魏の後宮に入った。高洋(文宣帝)が北斉を建てた際、帝位を禅譲した孝静帝は中山王に降格され、妃嬪たちと別れさせられた。李嬪は皇弟の長広王高湛(後の武成帝)の側室となり、長男の高綽(後の南陽王)を産んだ。武成帝が即位すると弘徳夫人(身分の高い妃嬪)に封ぜられた。武成帝が崩御すると、息子の封号により南陽太妃と称された。
李太妃の姉は南安王高思好の妻であった。武平5年(574年)、南安王の謀逆罪により、太妃の姉も連座して火刑に処された。太妃はショックで精神病を患い、結局亡くなった。
伝記資料
- 『北斉書』
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