杉森信義とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 杉森信義の意味・解説 

杉森信義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 16:04 UTC 版)

杉森 信義(すぎもり のぶよし、元和7年〈1621年〉 - 貞享4年4月22日1687年6月1日〉)とは、江戸時代の武士。近松門左衛門の父。

来歴

越前国福井藩の藩士杉森信重の三男。幼名斎之助、のちに市左衛門と名乗る。妻は福井藩の藩医岡本為竹の娘喜里、子に智義、信盛(近松門左衛門)、伊恒(岡本一抱)らがいる。福井藩主松平忠昌に児小姓の頃より仕え、三百石を家禄とする。忠昌の没後は吉江藩松平昌親に仕えたが、寛文4年(1664年)以降に藩を辞して浪人の身となり、妻子と共に京都に移り住んだ。京では俳書『宝蔵』に句を残している。享年67。墓所は京都本圀寺、戒名は智妙院道喜日勧居士[1]

脚注

  1. ^ 以上、丸山昌朗「岡本一抱子」(68頁)及び『近松門左衛門 三百五十年』(15 - 16頁)参照。

参考文献

  • 丸山昌朗 「岡本一抱子」 『漢方の臨牀』第9巻第11・12合併号 東亜医学協会、1962年 ※68頁
  • 『近松門左衛門 三百五十年』 和泉書院、2003年 ※15 - 16頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  杉森信義のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「杉森信義」の関連用語

杉森信義のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



杉森信義のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの杉森信義 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS