末子 中将院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:15 UTC 版)
中将院は、坊城俊完の末子で、修験法を会得していた。貞享2年(1685年)3月罪科不明のまま八丈島に流罪となった。当時、八丈島の樫立村では毎夜鬼が出没して、通りかかりの女、子供に悪ふざけをしていたが、中将院がこれを退治して諏訪に庁に鎮め祀ってから、その気配がなくなった。樫立村ではそれ以来、彼を神として尊崇してきたという。中将院の石室と呼ばれる墓が残されている。
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