服部半蔵正賢(正覧)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:11 UTC 版)
今治藩松平筑後守家の家臣である小服部家・服部伊織の次男。名は茂十郎。正盈の半蔵解任に伴い享保18年(1733年)家督を相続し、1000石の年寄となる。幼少の頃から持病の喘息に悩まされ、病弱であった。半蔵を襲名した後も喘息の悪化により度々職務に支障をきたしたため再三にわたりお役御免を申し出たが、そのたびに引き留められ、温泉地などで養生するよう申し付けられた。安永3年(1766年)会津白河にて病没。
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