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星山和久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 12:11 UTC 版)

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星山 和久
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県
生年月日 1950年
身長
体重
175 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

星山 和久(ほしやま かずひさ、1950年 - )は、愛知県出身のアマチュア野球選手(外野手)。

経歴

中京商業高校では甲子園に2回出場。1967年、2年生の時には夏の選手権右翼手として出場。川口勉大島忠一の3年生バッテリーを擁し準決勝に進出するが、エース石井好博を擁する習志野高に2-3で惜敗[1]。1年上にはほかに二塁手の望月博、中堅手渡辺幸三がいた。翌1968年は同期のエース水谷則博らとともに春の選抜に出場。しかし1回戦で広陵高の宇根洋介(近大電電中国)に抑えられ1-3で惜敗[2]

中京大学へ進学。愛知大学野球リーグでは在学中7回優勝。1970年にはエース榎本直樹の好投もあり、全日本大学野球選手権大会決勝で関大を破り初優勝。同年の第1回明治神宮野球大会では、決勝で東海大学の川端理史(住友金属)に抑えられ準優勝にとどまった。

大学卒業後は三協精機に入社。1974年には新設された社会人野球日本選手権に出場。2回戦(初戦)で松下電器山口高志から3点本塁打を放ち注目を集める。大塚喜代美樋江井忠臣の好投もあって決勝に進出。日本鋼管福山を降し優勝を飾った[3]。この大会では優秀選手賞を獲得、同年の社会人ベストナイン(外野手)にも選出された[4]

脚注

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「社会人野球日本選手権大会20年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1994年
  4. ^ 「日本社会人野球協会会報1974」日本社会人野球協会 1975年

関連項目




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