昔の油の商売について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 23:28 UTC 版)
永瀬によると、 「米子はもちろん、境方面へも大八車で油卸しをしましたが、境に行くときは、初日は和田くらいまで、弓浜部のお得意さんを回り、境に着くのは二、三日がかりでした。おじと二人で出かけました。雪の日は、そりゃあえらかった。わらじばきで、足は冷たいし、ほんとにつらかった。 自動車のある今と違って、列車で上石見まで上がり、あとは自転車で福栄、生山を回っていったん米子に帰り、次の日は、生山から矢戸、多里、山上、阿毘縁なんかを途中で一泊して回ったものです。 大正時代、米子の油店は、私の店のほか、益尾さん、上田さん、塩川さんなどがあり、私のところが英国系のライジング社で、ほかの方は、ニューヨーク・スタンダードでしたねえ。」という。
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