日根野若狭守とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 日根野若狭守の意味・解説 

日根野若狭守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 01:44 UTC 版)

 
日根野 若狭守
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 又左衛門、九郎左衛門尉?
幕府 室町幕府
氏族 日根野氏
父母 日根野景盛
兄弟 景宗?
弘就
テンプレートを表示

日根野 若狭守(ひねの わかさのかみ)は、戦国時代和泉国で活動した武士。

概要

古井氏(中氏)に伝わる「家記」や「先代考拠略」によると、若狭守は又左衛門とも呼ばれた日根野村・湊村の「土民」で、古来からの感状・御教書が夥しく現存していた。日根郡近辺の土豪による一揆(三十六人党)の中では最も「分限者」であったとされ、3万7000石を領有していたものの、子孫は滅びたり他国に移住したりしていたという。また、 大井関明神(日根神社)の神職も務めていた[1]。「泉邦四県石高寺社旧跡幷地侍伝」には「日根野若狭守、本地日根郡之内過半、神職武職兼帯、其子神職を捨、信長公に被召出」とあり、「日根法印」(日根野弘就)の父とされている[2][3][4]。「日根法印」は尾張国丹羽郡時之島城や、織田平七郎(織田勝久の子)とともに尾張国丹羽郡小口村(小口城)に住んでいたという[5][6][7]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 中盛彬『家記 ; 先代考拠略 (熊取町史紀要 ; 第1号)』(熊取町教育委員会、1985年)
  2. ^ 岸和田市史編さん委員会『岸和田市史 第3巻』(岸和田市、2000年)
  3. ^ 鷲見等曜「大庄屋の系譜-泉州南部の一部-」『近世史研究 2』(大阪歴史学会近世史部会、1955年)
  4. ^ 和泉市史編纂委員会編『和泉市史 第2巻』(和泉市、1968年)
  5. ^ 愛知県教育委員会『愛知県中世城館跡調査報告 4(知多地区)』(愛知県教育委員会、1998年)
  6. ^ 名古屋史談会『張州府志 第4』(名古屋史談会、1916年)
  7. ^ 岸和田市史編さん委員会『岸和田市史 第3巻(近世編)』(岸和田市、2000年)

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  日根野若狭守のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

日根野若狭守のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日根野若狭守のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日根野若狭守 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS