子不語
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『子不語』(しふご、別題『新斉諧』)は、中国の清代の文言小説[1]集。著者は袁枚(えんばい、1716年(康熙55年) - 1797年(嘉慶2年)、字を子才、号を簡斎、屋敷を隨園と名付け、隨園老人とも号した)。
- ^ 文言小説とは、宋代以後の中国小説史の上で、大きな比重を占めてはいなかったために、形態名が与えられていなかったこの分野に対し、前野直彬が仮に付けた呼称である。平凡社 中国古典文学大系 42 『閲微草堂筆記(抄) 子不語(抄) 他』 。解説 p.503 。
- ^ 紀昀(きいん、1724-1805年)は反聊斎の姿勢を鮮明にし『閲微草堂筆記』(えつびそうどうひっき)を著した。
- ^ 星野明彦(ホシノアキヒコ、慶應義塾女子高等学校教諭 1996現在) 《袁枚と『子不語』:小説家としての意識を中心に》 慶應義塾大学藝文学会 藝文研究 Vol.51, (1987. 7) ,p.69-89 博士論文、p.69-70 。
- ^ 述而第七之二十 ウィキソースには、論語 (Wikisource)/述而第七の原文があります。
- ^ 莊子 逍遙遊第一 北冥有魚の条 「齊諧者、志怪者也。」 ウィキソースには、莊子/逍遙遊の原文があります。
- ^ 原刊本『隨園二十八種本』(木版線裝本)。1892年(光緒18年)刊行の『隨園三十八種本』(排印本)には二十四巻710篇(開放文學目録)、中国語版ウィキソースは開放文學に依存と記すも745篇収録する。
- ^ 前野直彬 訳 『閲微草堂筆記(抄) 子不語(抄) 他』、平凡社〈中国古典文学大系〉42、1971年。巻末の解説 p.513-514 。
- ^ 中野清は、袁枚没後、弟子や遺族による編纂と思われる『隨園三十種本』では、最初8巻だったのが10巻になった経緯や収録作品数増加の事由等を推測しており興味深い。《袁枚『子不語』の増補》早稲田大学 中國詩文論叢,24,158-166 (2005-12-31)紀要論文
- ^ 1892年刊行の『隨園三十八種本』は『續新齊諧』十巻266篇(開放文學目録)、中国語版ウィキソースは開放文學に依存とするも277篇収録する。
- ^ 中野清「木下杢太郎]譯の『子不語』」 2016年 紀要論文
- ^ くろだまみこ、大阪生まれ。法政大学 文学部日本文学科 教授。
- ^ ふくだもとこ。聖学院大学 非常勤講師。
- ^ てしろぎこうすけ、1931年- 2015年。福島県喜多方市生まれ。日中友好協会理事(1994年 - 2010年)。『老百姓、再び!』2020年 田畑書店 ISBN 978-4-8038-0372-3 紹介文による。
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