南海日日新聞 (八幡浜市)とは? わかりやすく解説

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南海日日新聞 (八幡浜市)

(斉間満 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 06:15 UTC 版)

南海日日新聞
種類 隔日
サイズ タブロイド判2ページ(1975-1987)
B4判4ページ(1987-2008)

事業者 南海日日新聞社
本社 愛媛県八幡浜市
代表者 斉間満→斉間淳子→近藤誠
創刊 1975年(昭和50年)11月1日
廃刊 2008年(平成20年)6月1日
言語 日本語
価格 月極 900円
発行数 2,000部(公称)
南海日日新聞
本社所在地 愛媛県八幡浜市白浜通り
業種 情報・通信業
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南海日日新聞(なんかいにちにちしんぶん)は、愛媛県八幡浜市伊方町を発行エリアとしていた地域紙[1]。1975年11月1日に創刊し、2008年6月1日に休刊となった。

概要

八幡浜市伊方町四国電力伊方原子力発電所に近い。南海日日新聞は原発に反対の姿勢を取っていた[1][2]。メディアにおける人権問題にも重点を置き、事件や事故においては匿名報道を実践した[1][2]

歴史

1975年11月1日、日刊新愛媛の記者であった斉間満が独立して南海日日新聞を創刊した[1]。創刊当時はタブロイド判2ページで火・木・土の週3回発行し、購読料は月額500円だった[1]。1987年11月にはB4判4ページに変更し、1面には政治、2面には町の話題やスポーツ、4面には連載や県内ニュースを掲載した[1][2]

2006年10月には経営者であり編集発行人の斉間が病死。斉間は「俺が死んだら発行を止めてもええんやで」という遺言を残したが、妻の淳子は3人のスタッフとともに経営を継続し、社説「海鳴り」も淳子が担当した[1]。経営者や編集者としては素人の淳子が力の限界を感じると、2008年4月には創刊直後から記者として働いていた近藤誠が事業を引き継いだ[1]。しかしながら近藤が経営を継いですぐ、「生命にかかわる病気」を理由に休刊を発表し、2008年5月いっぱいで休刊となった[1]。休刊時の購読料は月額900円であり、休刊時の公称部数は2,000部だった[1][2][3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 「創刊32年『南海日日新聞』、発行継続決まる 後継者は同紙記者」朝日新聞、2008年3月26日
  2. ^ a b c d 「南海日日新聞、休刊へ 経営者病気で来月から」朝日新聞、2008年5月28日
  3. ^ 「伊方(愛媛)編 南海日日新聞 批判ぶれぬペン」東京新聞、2011年4月30日

参考文献

  • 斉間満『原発の来た町 ー原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』南海日日新聞、2002年5月27日
  • 斉間満『匿名報道の記録 あるローカル新聞社の試み』創風社出版、2006年6月15日 ISBN 4-86037-071-6



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