張公素
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張 公素(ちょう こうそ、生没年不詳)は、唐代の軍人。盧龍軍節度使。本貫は幽州薊県。
経歴
盧龍軍節度使の張仲武の従弟にあたる。咸通年間、幽州の軍校となった。盧龍軍節度使の張允伸に仕え、平州刺史に累進した。咸通13年(872年)、張允伸が死去すると、その子の張簡会が盧龍軍の留後の事務をつかさどった。公素が平州の兵を率いて幽州にかけつけると、盧龍軍は公素の威望を恐れた。張簡会が公素を抑えることができないと悟って逃走すると、公素は盧龍軍節度使に擁立された。ほどなく朝廷に旌節を授けられ、中書門下平章事を加えられた。その性格は凶暴で、瞳に白いところが多く、幽州の人は公素のことを「白眼相公」と呼んだ。乾符2年(875年)、公素は李茂勲に節度使の位を奪われ、長安に逃亡し、復州司戸参軍に左遷された[1][2]。
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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