康黙記とは? わかりやすく解説

康黙記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 09:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

康 黙記(こう もくき、生没年不詳)は、(契丹)の政治家軍人。もとの名は照。

経歴

若くして薊州の衙校となった。耶律阿保機が薊州に侵攻すると、黙記は捕らえられ、その才能を愛されて麾下に加わった。蕃漢のあいだの交渉を任され、耶律阿保機の意にかなった。建国当初で法律も未整備であったが、黙記の裁決は公正なものとみなされ、国人に支持された。まもなく左尚書に任じられた。

神冊3年(918年)、上京臨潢府が建設されるにあたって、黙記は夫役を監督し、工事を急がせて100日で完成させた。神冊5年(920年)、皇都夷離畢となった。耶律阿保機が居庸関に進軍すると、黙記は漢人の部隊を率いて長蘆水寨に進軍して、戦功を挙げた。

天賛4年(925年)、耶律阿保機が渤海に親征すると、黙記は韓知古とともに従軍した。諸将とともに忽汗城を攻撃し、先頭に立って東門に肉薄した。忽汗城が陥落すると、韓延徽とともに長嶺府を下した。耶律阿保機が軍を返すと、降伏した城邑の多くが再び叛いたため、黙記は蕭阿古只とともに諸城を平定してまわった。

回跋城を落として帰還し、耶律阿保機の陵墓の造営が終わると、死去した。

孫に康延寿があった。

伝記資料





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「康黙記」の関連用語

康黙記のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



康黙記のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの康黙記 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS