広瀬貞雄 (実業家)とは? わかりやすく解説

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広瀬貞雄 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 15:27 UTC 版)

広瀬 貞雄(ひろせ さだお、1933年昭和8年)1月2日 - 2020年 (令和2年) 2月7日)は、日本の実業家富士紡績元代表取締役社長。廣瀬資料館理事長[1]日田広瀬家第11代当主。江戸時代の儒学者広瀬淡窓の弟・広瀬久兵衛の子孫である。

経歴

  • 1933年1月 - 大分県日田市に生まれる。広瀬正雄の長男[2]
  • 1951年3月 - 福岡県立修猷館高等学校卒業[1]
  • 1955年3月 - 九州大学経済学部卒業。
  • 1955年4月 - 富士紡績入社。
  • 1984年5月 - 同製品部長。
  • 1986年2月 - 同東京営業部長兼務。
  • 1986年7月 - 同取締役。
  • 1990年6月 - 同取締役常務。
  • 1991年6月 - 同代表取締役社長。
  • 1998年6月 - 同代表取締役会長。
  • 1999年1月 - 同取締役相談役。
  • 1999年6月 - 同相談役。
  • 2020年2月 - 死去[3]。87歳没。

授章

家族・親族

父は日田市長、佐藤内閣郵政大臣などを歴任した日田広瀬家第10代当主広瀬正雄。実弟にテレビ朝日会長、日本民間放送連盟会長を務めた広瀬道貞通商産業事務次官の後、大分県知事を5期務めた広瀬勝貞興銀証券常務を務めた広瀬興貞がいる。  

脚注

  1. ^ a b 「広瀬淡窓と日田」広瀬家第11代 廣瀬貞雄氏、東京修猷会 第518回二木会、2005年2月10日(木)学士会館。
  2. ^ 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』727頁。
  3. ^ 広瀬貞雄氏が死去 元富士紡績(現富士紡ホールディングス)社長”. 日本経済新聞 (2020年2月17日). 2020年2月17日閲覧。

参考文献

  • 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。
  • 『人事興信録 第45版(下巻)』興信データ、2009年。
先代
阿部裕正
富士紡ホールディングス(旧富士紡績)社長
1991年 - 1998年
次代
安原裕



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